アーカイブ

「素朴な願ひ」

雑談の多い先生だった。その話のいくつかを今でも覚えている。

今のように簡単に本を作ることができる時代ではなかったあの頃、彼は歌集を出版していた。

本に書かれている歌と実際に学校で接している本人との印象の違いに、とても驚いた。しかし、どちらも偽りではなかった。この驚きは、人は多面的で複雑であることを、今も私に思い出させてくれる。また、これらの歌が自身の心を深く見つめる過程を経て生まれてきたであろうことに気付けるほどの経験や想像力を当時の自分が持ち合わせていなかったことを、つくづく残念に思う。

「誰にでもわかる授業をしたいといふ そんな素朴な願ひをもって」

持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)の理念「誰一人取り残さない-No one will be left behind」を聞いたとき、この歌と先生を思い出した。私は優秀な生徒ではなかったが、日々このような思いを抱えて授業をしてくださった先生に感謝している。

幼い子の話にもっと耳を傾けるべきだと反省した話

図書館で「ごんぎつね」を探したいの

保育園で読んだのは途中で終わっているから、その続きを読みたいの

うん、あのね、「ごん」っていういたずら狐がいたの

ごんが、「兵十」っていう人がお母さんに食べさせようと思っていた大切なお魚を盗んじゃったから

お母さんがお魚を食べられなくて死んじゃったの

だから、悪いことしたなあって思って、

ごんはいろんなものを兵十のところに持っていくの

ごんが兵十の家の中にいるのを兵十がみつけて

「あのいたずら狐め」って火縄銃に火をつけて、ごんを撃ったら

ごんが持ってきたどんぐりをみつけて

「ごん、お前だったのか」って言うの

それでお話が終わってるの

だから続きを読みたいんだ

兵十がごんを動物病院に連れて行って

ごんと兵十が仲直りするんだよ

年中のときに、初めて紙芝居を見たとき

みんな「ごん、かわいそう」って言ったんだよ

出逢い

20世紀のある年の冬、私は営業職として長野県にいた。

御宅を訪ねると、郷土の味をごちそうになることもしばしばだった。

大抵は林檎あるいは野沢菜だったが、いちどだけ蜂の子とイナゴを勧められた。

どうして断ることができようか。

それはこの地域の食文化であり、長きにわたり人々の命を繋いできた貴重な蛋白源であったのだ。しかも小娘二人がどう反応するか見守っている、その目の前で!

まず攻略すべきはイナゴだ。

(エビ・・・エビ・・・)と頭の中で繰り返し唱えながら口に運んだ。

実際、食感は小エビのようだった。

さていよいよ蜂の子である。

「蜂」の「子」、すなわち幼虫。

佃煮の味がよくしみていそうな小さくて黒いものを、私は慎重に選んだ。

「あっ・・・美味しいです!」

同僚が言った。

そうなのか。

しかし、意図的に醤油しか味わおうとしなかった私は、2つ目に手を伸ばす勇気を最後まで出すことができなかった。

大学で学ぶ価値と大学の使命とは~上野千鶴子さんの祝辞より

既にご存知の方も多いと思いますが、東京大学入学式での上野千鶴子さんによる祝辞が話題になっています。

私、A子もその祝辞を東京大学ホームページで読み、日テレの動画も見まして、印象に残った言葉の”ほんの一部”をこちらに記したいと思います。

統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。

私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。

…誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

あなたあなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。

人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

抜粋が多くなってしまいましたが、興味を持たれた方には、ぜひ全てを見ていただけたらと思います。

(子どもと一緒に読んで、感想を聞いたり色々話し合ったりしたいと思い、書き起こしに送り仮名をつけてみました・・・↓)

どんぐりと2年目の春

昨年、発芽して若木となったどんぐりを見た子どもが、また拾ったどんぐりを埋めろと持ってきた。

今回は根も出ていないし難しいだろうと思いながら、チューリップやムスカリの陰に埋め水を切らさないようにはしていた。春になりムスカリは咲いたが、予想通り2年目のチューリップはつぼみをつけなかったので、その球根を抜いた。ついでに隣の球根も抜いた。


チューリップのついでに抜いたのは、球根ではなくどんぐりでした。そこで、小さな植木鉢に埋めなおし水遣りを続けることに・・・

新芽を出したコナラ先輩。

情緒を耕す

―――細水統括のおっしゃるとおりだった。彼らは、一度も耕されたことのない荒地だった。ほんのちょっと鍬を入れ、水をやるだけで、こんなにも伸びるのだ。たくさんのつぼみをつけ、ときに花を咲かせ、実までならせることもある。他者を思いやる心まで育つのだ。彼らの伸びしろは驚異的だ。

「空が青いから白をえらんだのです」寮美千子・編

少年刑務所の受刑者が書いた詩集を読みました。「社会性涵養プログラム」と名付けられた更生教育のなかで書かれた詩の一部です。

「家庭では育児放棄され、まわりにお手本になる大人もなく、学校では落ちこぼれの問題児で先生からまともに相手にしてもらえず、かといって福祉の網の目にはかからなかった。そんな、いちばん光の当たりにくいところにいた子が多いんです。ですから、情緒が耕されていない。荒れ地のままです。自分自身でも、自分の感情がわからなかったりする。でも、感情がないわけではない。感情は抑圧され、溜まりに溜まり、ある日何かのきっかけで爆発する。そんなことで、結果的に不幸な犯罪となってしまったというケースもいくつもあります。先生には、童話や詩を通じて、あの子たちの情緒を耕していただきたい」

気持ちを安心して表現することができる守られた場があることは、人間らしく生きていくために重要なのだということを、深く感じた一冊でした。

私は我が子に対して、守られた場として存在できているのだろうか・・・厳しい目で我が身を振り返る必要がありそうです。

知識と知恵

ビジネスの世界で「知識ではなく知恵を」という言葉を耳にしたなど、思うところがいくつかあったので、改めて言葉の意味を家にある「くもんの学習小学国語辞典第四版」で調べてみました。太字は投稿者A子です。

「知識」 ものごとに関する考え方や理解
「知恵」 考えたり記憶したりする頭のはたらき

こうしてみると、生きていくうえで知識よりも知恵が重要だということは分かりますが、より知恵を働かせるためには知識は多いほうが良いでしょう。そして、知識を得るために役に立つのが「学問」です。

「学問」1、学び習うこと。また、学んで身につけた知識
    2、すじ道を立ててまとめられた知識。文学・数学・医学など。

「すじ道を立ててまとめられている」とは、言い換えれば知性と労力の集大成であり、ものすごいことだと思うんですよね。まとめてくれてありがとう!さて、この素晴らしい学問や知識を得ることにより身につくであろうもののひとつが「教養」です。

「教養」 学問や知識などによって養われる、ゆたかな心や、ものの考え方。

「知」において知恵は教養を含むものと考えますが、単に学問や知識などを得るだけでは教養ある人にはなれないところが、悩ましくも美しいところです。豊かな心の持ち主が悪知恵を働かせることは先ずないと思いますし。

「素養」 ふだんから身につけている技術や学問。

教養と似ていて異なる「素養」という言葉。学問や「技術」が普段から身についている人が「素養ある人」ということになりますが、突然でてきた技術という言葉にはどういう意味があるのでしょうか。

「技術」1、学問を実際のくらしに役立てる方法
    2、ものをつくったり、おこなったりするわざ。

技術を使うためには知恵が必要となるでしょう。個人の体験ですが、真夏日に頂いた生魚をビニール袋に入れ数時間かけて持ち帰ったことがありました。その時にどこに氷を入れるかで小さな議論になったのですが、その人は「氷は上。冷気は下にいく」と即答。この文章を書きながら、知恵、素養という言葉からその人を思い出した私でした。

どんぐりの里親みつかる

どんぐりの若木を、保育園で育てていただくことになりました。

 

園内で「どんぐり拾い」ができたら子どもたちが嬉しいのではないかとお声掛けをしたのですが、誤飲のおそれがあるのでそれは叶わず。

でも、どんぐりの実がなるまでの数年間、成長を観察してみるのも良いのではないかと。「みんなが拾ったどんぐりが、こうなるんだよ」と実物に触れてもらうことにも意味があるのではないかと。

そんな話になりました。

若木に添える紙を作ってみました。

どんぐりいちねん

昨年、拾ったどんぐりから根のようなものが出ているのを発見し、土に埋めた話を書きまして、

その後の話です。

 

芽が出ました。

2018/3/11撮影

 

その後、順調に葉が増えたので

2018/5/27撮影

 

植え替えをしました。

2018/6/27撮影

根元にどんぐりがあるのですが、判りますか?

 

夏を経て秋になり、20~40センチ程に成長しました。

2018/11/16撮影

葉が落ちているものがありますが、冬を迎えてのことなのか、元気がなくなってしまったのか・・・春まで様子をみようと思います。

 

今年も埋めてほしいと、子どもが拾ってきました。

わらしべ長者?

以前、「稲を育てています。」という記事を書きました。

干からびた稲の苗を拾った話で、その記事に載せた写真がこちらです。

1日目(植えた日)

 

30日後

 

この稲たちの後日談です。

知人に1株譲りまして、我が家で2株育てていました。

僅かな分けつで最後まで貧弱だった我が家の稲ですが、それでも9月1日に花が咲きました。

9月1日

しばらくすると、穂が伸びてきました。写真は9月10日現在の稲です。

9月10日

その後の稲の手入れ方法が分からなかったのですが、調べる余裕もなかったので、それなりに水遣りを続けていました。

稲刈りのタイミングも知らぬまま、どこかのタイミングで子どもとしようと思っていた10月中旬に台風が来ることを知ったので、台風が上陸する直前に刈り取りました。

前述のとおり、株が貧弱なため普通の園芸鋏でチョッキンし、わずか10秒ほどで稲刈り完了です。これを「稲刈り」と呼んで良いのだろうか、という疑問も若干わきましたが、そこはスルー。

さすがの私も、刈った稲を干さなくてはならないことは知っていましたので、逆さにして干すことにしました。

ドライフラワーみたい

拾った苗から、少ないながらもお米が収穫できました。

こちらは、五穀豊穣を願いお供えした後、種籾にしようと思います。

 

この度、生まれて初めて、稲の葉や茎を触りました。

子どもの頃ススキをよく触っていて、その鋭い葉で切り傷を作ったことが数知れずありましたが、稲の葉の鋭さはススキの比ではないと感じました。

稲の葉は側面だけでなく表面もザラザラ。さらに茎もザラザラで、下手に触ったら怪我をするなと。肌を出して田んぼに入ろうものなら、全身切り傷だらけになると思います。

長きにわたる稲作の歴史、先人の苦労をほんのちょっと感じた秋でした。